私が長年所属している(が何も貢献していない。会費は払っているけれども)戦略研究学会の来年度の大会における5W1Hをの報告を記した手紙が、数日前に到着した。
今年は第10回大会で、第10回記念とかいうものはあるのかと思いきや、そういうことはなさそうである。場所もいつもの明治大学駿河台校舎(多分リバティータワー)である。去年もそうだったが、あそこで大会やると、出版社の方々が出店を出してくれないのだよね。まぁ今は金欠病だから構わないけれども。
今年はテーマが「組織と戦略」というものである。最初にこれを見た時は「あぁ、今年はビジネスストラテジー一本やりなのかな」と愚考した。しかし趣旨を読んでみるとそうともいいきれないところがあるのかもしれない。まぁ東京開催だし、どのみち懇親会には出ないのだから、それほどお金も掛からないだろうからと、ほとんど暇つぶしのような気分で行くことになりそうである。最も趣旨によると、
戦略がいかなるものであれ、その実行にあたるのは組織である。国家戦略であれ、軍事戦略であれ、企業戦略であれ、このことに変わりはない。では、戦略の実践にとって、最も有効な組織とはいかなるものか。そこには何らかの普遍性があるのか。また、戦略の狙いや中身が変われば、組織のあり方も変化するはずだが、そうした変化のモデルとなり得る具体例はあるのか。この共通テーマでは、こうした問題を、軍事戦略論と企業戦略論の両面から考察する。
ということが書かれている。
そういえば毎年基調講演があり、昨年までは大抵の話し手は名前は聞いたことがあるかそれ以上の関係の人であった。しかし、今年はもしかすると、企業戦略論の講師が基調講演をするのではないかという気がしないでもない。まぁ軍事戦略・グランドストラテジーの分野では小規模な集会でいつも取り上げられているので、この大会をビジネスストラテジーのための大会にすることについては、仕方がないともいえる。
個人的な問題では、この大会の時期までにモバイルパソコンとICレコーダーを持って「tsudaる」ことをしてみたいと思っているが、まぁ金欠病なので苦しいかなぁ。
毎年思うのだが、ストラテジーって「男の世界」なのだろうか。女性は本当に少数がいるだけで、そのエリアでは「紅一点」という感じになることが多い。他のもっと厳密な学会には所属したことがないので、肯定も否定もできないのだが、やはり文学畑の学会は(歴史系を除いて)男女半々くらいになるのだろうか。それで工学系の学会には女性は天然記念物並みの存在だとか・・・。
今回の記事は今年に入って初めてのものなので、気合いを入れて新刊『ユーラシアの東西』全てについて述べたかったが、全部を読み込むのに時間が足らなかったためにとりあえず一読後の感想として今回は記事をアップしておく。今度読むときは自前で購入してから読むことになりそうである。
今回は奥山真司先生が多用するポイントフォームの形態で感想をまとめてみた。初めての試みなので、うまくいくかは分からないが、読みやすさの点では読み手の負担を減らすことができたと信じたい。
『ユーラシアの東西』と地政学
●杉山正明による地政学の定義は、「地政学というのは、地球を単位として、そのときどきの世界の動向・情勢を的確につかみ、現在と今後への判断に生かすことである。」
●具体的には、政治・外交・軍事・通商・安全保障などをはじめ、国家とその運営全般にかかわる根幹の構想やさまざまな戦略を含めて、世界ないし世界史全体の視野において、物事を巨細に眺め考えようとするときの不可欠の基礎をなすものである。それは一面で政治学でもあるが、歴史学でもある。すなわち、地表全体をカヴァーする大小さまざまなありとあらゆるデータ・情報がまず必要である。いや、大気圏の内外、宇宙空間についてもそうだろう。そのいっぽう、古今東西に通じる分厚く該博な歴史的知識と素養、そして総合的な判断・実践力が求められる。いずれが欠けても駄目である(杉山正明.ユーラシアの東西.日本経済新聞出版社,2011, p44)
●同著者の他の著作、あるいは同著作内でも他の部分には技術に関することが少しばかり触れられているが、ここではテクノロジーに関する文章は皆無である。地政学を単純に歴史学+政治学というまとめ方をしている。
中央ユーラシア情勢
●ロシア連邦は、かつてのロシア帝国・ソビエト連邦のごとく、帝国の夢を追い求めている(ただし杉山先生は2008年グルジア戦争を、ロシアの一方的な帝国再興政策の一環としてみているが、実際にはグルジアも南オセチアで挑発的行為をしたが故の南オセチア防衛戦争という側面もあることは黙殺している)。
●アメリカ合衆国はイラクとアフガニスタンで下手を打った。ちなみにアフガニスタンは当時(アメリカは今)の世界帝国が何らかの理由で手を出して、必ず痛い目に遭っている。
日本発の世界史
●日本発の世界史というものを作ることができるし、作らなければならない。それは価値観において欧米中心の世界観から自由になるものである。
●モンゴル帝国の時代に確かに日本とモンゴル(+高麗)が戦ったが、その時代と前後して、前近代では最も日中交流が盛んな時代であった。
●韓国伝統の儒教(朱子学)だが、これは李朝時代に始まったのではなく、モンゴル帝国の時代に高麗が輸入して始まったものである。
●モンゴル帝国の時代に『集史』という歴史の本が編まれたが、最近ようやくこの本の重大性が理解されるようになった。
●『集史』の研究はモンゴル帝国史に不可欠であるが、古今の言語と東西の歴史を一通り修めていなければ不可能である。
●日本発の世界史を全世界に広めることでヨーロッパ中心史観に毒された現在のモンゴル帝国観を改めたい。
杉山正明と足利の交流
●足利(あしかが)という町があって、かつて足利学校という儒学の教育機関(大学のようなもの)があった。その町に華雨珍之館というものが現存し、そこには中国の碑文の拓本や写真が収められている。
以上が簡単なまとめであるが、この程度では本当に軽く触れただけなので、次回講読時は徹底的に分析してみたい。
ブログ主の感想
●ソビエト・ロシアをモンゴル帝国の末裔と捉え、大国ロシアが小国グルジアに攻め入った(と言ってもトビリシを占領したわけではない)ことを非難している。
●著者氏のややエキセントリックな対露恐怖症は、『地政学の論理』の著者・N筑波大学名誉教授と平仄が合う危険がある。
さらに詳しい書評は、恐らく今年度の戦略研究学会以後に記事としてアップするつもりである。
平成22年10月10日日曜日の昼下がりに、都内のとあるマンションの一室で、ホストゲスト合わせて20名ほどに及ぶ老若男女の国際関係論に仕事や教養として関心の深い者たちが、一応地政学に関連したことを話し合おうという目的で集まった。既に二ケタの回数が行われているようで、初参加の私も含めてホスト側もゲスト側もリラックスした態度で談話をすることができた。
先に、「地政学に関連したこと」と表記したが、尖閣諸島問題で日中間が荒れている事態の下では、やはり時事関連の話題が多くなるという傾向になったのは不思議ではない。ほかにもこれだけの人数になると、いくつもの小集団ができて、さまざまな話題が話し合われていたのだが、独り身の私(いや、まぁ普通は参加者本人本意で物事を見るのは当たり前である。ホスト・奥山先生の書記でもしていない限り)が語れるのは自分がどこかの小集団に巻き込まれていて、そこで話されているテーマだけなのは仕方がないことである。
印象深い話題の一つとして、当の尖閣諸島問題に関連して、間接的なプレーヤーである防衛省・自衛隊関連者から政治と行政の間にある溝をどうやって渡るか、という問題であった。現時点では語り手の許可を頂いていないので、どこまでがオフレコなのか不明ということとして、詳細は語らないことにする。
ただ日本側の対応はメディアで見る限り、技術的側面・法律的側面に限り、問題を一国対一国でしか考えられない、いわばオタク的議論になって(この文責は私にある)しまっているという話者がいた。これに対して合衆国国務大臣H,クリントンは「公海の自由通行を犯す者とは誰であれ戦う用意がある」という文言を発したことを奥山先生は評価していた。それを日本側に応用すると、海底油田にこだわるよりも多くの外国が利害関係を有する、と思わせるような談話を発して、数の力で中国から一勝を得る方法が好ましかったと提案した。
その伝を敷延すると、竹島問題についても、韓国は自国が大日本帝国の保護領になった1905年に独島(竹島の韓国名)を日本領として奪い取ったという論理を展開している。つまり日本による韓国植民地化の一環として独島占領をなしたという、植民地主義的行動を21世紀の日本が主張するのはおかしい、と国際世論に思わせていることはこの問題で韓国有利に働く、と先生は述べた。
もちろんほかにさまざまな話題が出たことは言うまでもないが、昨日の日記に記載したように残念ながら人間の記憶力というのはあまり当てにならないもので、私の場合は特に自身が話題の語り手になることはできないので、ほとんど覚えていない。
ただ、参加者の中にiPadを持参してきたものがいたので、重量感を受ける程度に持たせてもらった。A4サイズ程度の大きさの液晶画面と精密機械なので、思っていたよりは重く感じた。
その機会に奥山先生並びに数名の参加者が話し合った。奥山先生はまとまった文章を書く時には自室ではなく、店内無線LAN装置のない喫茶店に資料をいくらか持ち込んでPCに入力して文章の骨格を打ち込み、不明な点や資料に頼らざるを得ないところは帰宅してから補足入力するという方法をとっていると言う。その小サークルで話を聞いていた者たちは一同驚いていたものである。何でも自室の中だとインターネットに没入してしまい、執筆にならないからだというのである。
私はまとまった文章を書いた機会は社会人時代に数枚の始末書を書いた時に過ぎないが、それはまだパソコン入力が当たり前になる前のことなので、当然手書きしたが、会社の自デスクでボールペン書きをしたものであった。
想像でしかできないが、私がまとまった量の文章を書く必要に迫られた時は、やはり資料がそろい、使い勝手が良い自室の机で書くことをメインとし、必要に迫られた時かあるいは気分転換したい時に限って外出して、店内無線LAN装置が用意されている喫茶店などで書くのではないかと推測している。場合によってはイー・モバイルないしWi-Fiと契約して、電車の中などでもインターネットの助けを借りて執筆するのではないか。
こういう会合だと、やはり青学国際政経(ただし私以外は院生)の学生やOBが紛れ込んでいるもので、今回は20名中3名(私含む)いた。まぁ私こそ昭和の昔に戦略論に期待して国際政経に入学したのだから、そんな後輩がいたとしても、それはおかしくはないであろう。
反省点はせっかく名刺を持参したのだが、今回の会合に合う方の名刺の数が不足気味で、一部名刺交換をすることをためらった場面があったことである。そこで帰宅後に名刺入れの配置を大変更した。今度は100人レベルの人と名刺交換するのでない限り不足はあり得ないだろうという数を用意した。
次回以降もこのようなオフ会があれば、財布と相談しなければならないものの、是非参加してみたい。
私が地政学に関する用語を知ったのは中3か高1のころだと思う。当時愛読していたシミュレーションゲーム雑誌の007のコーナーに、世界情勢をコラムで語る場所があって、その中に「ハートランド」や「リムランド」といった単語が記されていた。イギリス連邦のスパイとしては単一国家や悪の秘密組織に世界を支配されてはならないのは常識に属する。
ただ、そのコラムでは突然かつ当然のごとくその地政学用語を解説したものだから、一応地球儀が頭に入っている身―というよりは、当時大流行したNHK特集シルクロードの影響か―としては少しは理解できたものの、その時は大学で戦略学を学ぶとは思っていなかった(私の当時の偏差値ではN大にエスカレーターで進学できる程度だった上に、親どもはN大の国際関係学部がある三島には絶対に行かせないと息巻いていた)ので、日本の大学で国際政治(当時は国際関係≒国際政治と思われていた)を学ぶ可能性は全くないと思っていた(実際昭和60年頃国際関係学科があったのは、全部は挙げられないが、東大教養・ICU・東京外大・日大国関・静岡県立大それに青学の国際政経(上智の旧比文はアメリカ式のリベラル・アーツ大システムなので、一概に国際関係とは言えないが、対外的に「上智の国際」を宣伝していた時期があるみたいなので、ウソとも言い切れない)で、あと関西でも外国語大学を中心に国際関係を教えていたかもしれない。
ただ当時も今もほとんど変わりないが、大学の学部レベルで軍事学や大戦略(ゲームの名前ではありません。気になる人はググって下さい)を教えるところはなく、せいぜい東大の佐藤誠三郎教授や青学の伊藤憲一教授(どちらも当時)が、事務方や左派系の教授陣による監視の目をくぐって別の科目名でこっそり教えていたようだ。そのこともあって私は、東大は無理だが青学ならまだしも(しかし当時の模擬試験の結果からは後者も「夢ですね」と突き放されていた)入れるのではないかと、高3の時に努力して何とか青学国際政経に入学したのだが、偏差値の不足で本来行くべき政治学科ではなく、相対的に偏差値の低い経営学科に入ったので、そのほかの要因もあって勉学にほとんど身が入らなかった。
まぁ購買会(青学には生協はない)で『デモクラシーの理想と現実』を買ったり、真駒内のPXで『海上権力史論』を買って読んだりしたものだが、これらは趣味で読んでいるという範囲を超えてはいなかった。ゼミはフォーリン・アフェアーズの訳読だし、伊藤教授は就職に何の便宜も図ってくれないし、まぁ湾岸危機のころで学生ごときに教えるより自分のテレビ出演や執筆の方が忙しかったのも無理はない。
おまけに1・2年で英語の勉強をサボったもので、いまだに輸入学問の域を出ない国際政治学の重要文献を目にしたことはなく、もっと古典をという悔しさがある。大体トゥキュディデスの名を知ったのが土山實夫教授が『安全保障の国際政治』という本をモノしてからという体たらくでは、学生時代何をやっていたのですか?と問われても仕方がない。
そんなわけで、日本の大学で数少ない戦略論の勉強ができる大学には行って、その筋の教授のゼミに入ったにもかかわらず、戦略を大学で学んだとは言いづらいのが現実である。